仁徳天皇陵 明治時代に国家プロジェクトで今の形になったの
仁徳天皇陵って明治時代に国家プロジェクト?で今の形に整形されました。昔はこんな形で、堀は農業用水ともつながっていた。そうだったの会 本当はなんなんだろう?
仁徳天皇陵って
明治時代に国家プロジェクト?で
今の形に整形されました。
昔はこんな形で、
堀は農業用水ともつながっていた。
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— ララ (@zqpCL4gDknmK1wE) February 17, 2025
このスレッドは面白いですね。みんないろんな意見
私はただの骨しか出て来ないと思うけど
天皇家は食べていたんですよね
人骨がザクザク出て来るからほじくり返せない
韓国でも同じ様なものを掘り返しして調べていた
ところが途中で慌てて埋め戻したと聞いた
人骨しか出て来ないと思うんだよね🤣
だから赤十字とかをやるんですよ
食べていたなんてバレたらヤバイでしょ
それにしても昔は形が違うのですね
知らなかったです
歴史は面白いですよね
どうしても綺麗な歴史を想像しますけど
真実はどうでしょうか?
日本が一番古い歴史ですからね
何があるのでしょうかね
知りたいですね
お堀もそうですよね
橋の名前が俎橋ですから
昔は生贄を運んでいたのでしょうね
生贄はそうだったの会の国家プロジェクトですよ
「俎」は「まな板」と書き、古代中国では神様に供える生贄をのせる台を意味していました。
【「俎」の由来】
「俎」のへんは「肉」、「つくり」は「台」を意味する
古代中国では神様に供える生贄をのせる台として使われていた
日本でも弥生時代の遺跡から木製のまな板が発見されている
古墳はピラミッドの原型。世界で日本が一番多い
「お供え」[供]神仏や貴人の前に、物をととのえて差し上げる。
お供えが無い時にはイノシシを供えていた。
日本の風習
お盆にピラミッドのお団子を供える
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